D'ac

元銀行員。子育てられ中。

2歳の甲子園。3歳の神社。

私の一番古い記憶は野球場。じゃなくて、その行く途中の道。
電車を降りて歩いて球場に向かう道。

 

これが一番古い記憶だというのは母から聞いた。
「昔、野球見に行ったよね?」と尋ねたところ、2歳の時に行ったと告げられたから。野球の内容は全く覚えていないのだけれども。


意外と2歳のころの記憶が残っている。社宅におばけの絵本に出てくる少年と同じ名前の男の子がいたこととか。顔はもう出てこないのだけれど。

 

娘が今ちょうど2歳なので、今していることとかを大人になっても覚えているとすると色々注意して生活しておきたいものだ。バカばっかりやっているので。

 

そこから記憶は飛んで一番長く私の中に留まることとなった出来事、そう3歳のこと。
あれは4歳になる年の夏だった。
幼稚園が夏休みに入ったので弟と母と3人で家から近い神社に散歩に出かけた。階段を駆け上がる私と弟。少し遅れてついてくる母。幼稚園児ながらに夏休みが嬉しかった。そして、母と弟と朝から一緒に過ごすことに特別感を覚えていた。

 

この記憶はいつまでも鮮明にとどまる。
私が今まで生きてきて一番幸せだったころの記憶として。

 

あの時、私には怖いものがなに一つなかった。世の中の恐ろしいありとあらゆるものから母が私たちを守ってくれていた。本当に幸せな瞬間。あれほど完璧な幸せには二度と出会えないだろうと思った。

 

うつ病になったとき、社会に出て病気をし仕事を失い生きる気力すらも失うとき、いつでもあのシーンを思い出した。
「私の人生の一番いい時は過ぎ去ってしまったのだ」と。
何度も思い出して泣いた。昨日のことのように思い出せるのに。目を閉じた瞬間に20年も経ってしまったかのような気持ちになるのに。もう届かない私の幸せ。

 

いつだったか母に伝えたことがある。
あの瞬間が私の人生で一番幸せだったということ。
あれほどの完璧な瞬間は私の人生には残されていないだろうということ。

 

すると母は素っ気なく言った。
「次はあんたが与える番になるのよ。家族をつくって、そして、その幸せな瞬間を子どもにつくってあげたらいいのよ。」

 


それから数年が経って、私のそばには世界一可愛い娘がいる。
彼女が私に抱き付いて眠ろうとするとき、私は今まで生きてきた中で一番の幸せを感じる。
「ママ」と呼ぶ声。私も呼び返す。何度も何度もそれを繰り返す。

 

母は正しかった。私にはまだあの完璧な瞬間と同じだけ、いや、もっと幸せな時間が用意されていた。
そして、あの完璧な光景はすこしぼやけて見えるようになってきた。そう出番を終えたかのように。その事実に私は少しだけ寂しい思いを抱く。

 

ただ、一点母が間違えていたことがある。
それは、結局私は与えられているのだ、ということである。

 

 

今週のお題「一番古い記憶」