D'ac

元銀行員。現在:写真撮影・加工。金融ライター・翻訳。子育てられ中。

生きる意味について考えてみた。

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今日、こんなエントリーを読みました。

happyenjoylovefunpositive.hateblo.jp

 


IDも、id:HappyEnjoyLoveFunPositiveだし、自己紹介も、「人生楽しい!人生楽しい!人生楽しい!人生楽しい!人生楽しい!人生楽しい!人生楽しい!人生楽しい!人生楽しい!人生楽しい!人生楽し・・・略」だし、なんか結構な率で明るく変な記事を生み出している人なのに、このIDと自己紹介は逆説なのか、と思わされる記事が生み出されることがある。不思議。

 

ということで、今回は、私も「生きる意味」というやつについて考えてみます。ちなみに今日は鬱なので、ネガティブ要素が入るかもしれません。そういうのが苦手な人はそっとページを閉じられることをお薦めします。

 

 

生きる意味とはなにか。

実はこの問についての回答が私にはある。

 

この間、とあるつながりがある方のご子息が亡くなられた。
親の気持ちを考えると正直たまらなかった。涙が出た。子に先立たれるとは何という哀しみだろうか。死とはすべての人に平等に訪れる不幸である。けれども、子に先立たれる不幸はどうしたって耐え難い。そんな哀しみを抱えて生きている人間がいる。その事実が私をひどく不安な気持ちにさせる。

 

一方、亡くなった人のことを思っても、さほど可哀想だとは思わない。いや、結局残される人を悲しませている。その一点においてのみ、死者の悲しみを慮るばかりだ。私も今死にたくはない。あと20年は生きていたい。娘が大きくなるまでは絶対に死にたくない。そう。遺されるものの心境・心情を慮ると死者についても悲しみを覚える。

 

どう伝えたらいいのか、よくわからないのだけれど。
私にとって死は解放なのだ。そして、生とは苦しいもの。そして、苦しいものだから一緒に生きていく人が必要。支え合う人が必要。
だから、死者に対しては密かな羨望を覚える。そして、遺された者に対しては深い深い悲しみを覚える。不謹慎と誹られるかもしれないけれど、そういう形で死者を羨んだことがある。今でもそれは変わらない。

 

生きる意味というのは、私にとっては他者を励ますこと、その一点にある。
「みんな大変だけど頑張っている。頑張って生きてる。」そう思うことで自分を奮い立たせなければならないときが何度もある。だから、途中で離脱した人に対して羨望を覚えるのだ。「あいつ、一抜けやがって」と。

 

結局人間というのは、その字のとおり、人と人の間に育つ関係性のことなのだと思う。
人が死ぬとその間にある関係性が失われる。遺されたものの喪失感はいかばかりか。
それを知っているからこそ、人は生きている。

 

私は誰よりも先に死んでしまいたい。
娘より遥かに早く。
夫よりも少しだけ早く。
友人たちよりも少しだけ早く。
私がどれだけ痛みに耐え生きているかを知っている彼らは、少しばかり先に旅たちたいという私の怠惰を赦してくれるはずなのだ。そう信じている。

 

 

 

ということでこんな記事もあるので

peticonbu.hatenablog.com

あんまり難しいことは日頃考えずに生きていきましょう。

 

以上!