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D'ac

元銀行員。現在:写真撮影・加工。金融ライター・翻訳。子育てられ中。

こどものためなら死ねます?

子ども
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私は気が早いので娘が生まれた次の日には「なに、この子! 可愛すぎる! 二人目とか考えられないわ!」なんて思っていた。
夫も気が早いので、生まれたばかりの娘をみて「なんだ、こいつ。可愛すぎるな。二人目も同じだけ可愛いって思えるかって聞かれると無理だな。」なんて言っていた。

 

そんなことを言いながらも、あれやこれやそれこれして、万一二人目を授かれば、同じように可愛いと思う親ばか二人なのは確実なのだが、まだいない子どもよりも今いる子の方が可愛い。そんなことは当然なことで。

 

ちなみに気が早い私は娘を産んだ病院の助産師さんに「この子が可愛すぎて二人目が可愛がれないって心配なんです・・・」なんて相談をした。助産師さんは「次の子を妊娠してから考えたら?」なんてことは言わずに「私もそう思っていた。でも、産んでみるとやっぱり可愛いものよ。」と言った。

 

今朝こんな記事を読んだ。

胎盤剥離で大量出血。臆病な私が勇気を振り絞った「赤ちゃんの命を優先してください」 - 赤すぐnet 妊娠・出産・育児 みんなの体験記


早期胎盤剥離で母子ともに危ない。
けれど、赤ちゃんの命を優先してくれと願った、そういう話。

 

正直、これが一人目のお話だったらピンときたと思う。
だって、ほかに守るものがないからね。私もそう思っただろう。
正常とは言えなかった妊娠過程で何度か夫とも話をした。
「もし万一のことがあったら、この子を優先してほしい」と。

 

ただ、私の場合、「この子を死なせてはいけない」という母性本能というよりも、「この子を失って生きるのは私には耐えられない」といった逃げの心境だったことも否定できない。

 

でも、これが二人目だったらどうだろうか。
可愛い子どもは二人いる。
上の子を置いて私は逝けるだろうか。
その逆もしかり。
そして、その決断に対して「私って勇気あるわ」なんて思えるだろうか。

 

いや、ないな。

 

生きることと死ぬことの双方に同じ重さがかかったとき、誰かのために死を選ぶときに誰かのために生きることをやめるのであれば、誰かのために生きるために誰かのために死ぬことをやめるのであれば、そこに「臆病」や「勇気」といった概念は必要ない。

 

ただ引き裂かれるだけ。
そして、選ばれた生が続くのであれば、そこに苦しみを見出し、やがて生きるために自分を正当化する方法を見出すのだろう。

 

こういう記事は書かないでおこうと思ったのに、書いてしまったのは紹介記事のここが気になって仕方なかったから。

 

臆病な私が、思い切って腹を決めた瞬間でした。

死んでも構いません、と思ったんです。

 

「ええ? 長男は??」って思ってしまって・・・。
もしかしたら使命を受けたのかもしれない。
人生には往々にして、ほかの何をおいても成し遂げないといけない何ものかが存在する。

 

それにしても。それにしてもだ。
こんなにも自分と腹の子しかいない世界に浸れるのだろうか。
上の子がいるにも関わらず。
もし、そうであるならば、私は二人目を産むという決定は一生できないだろうな。

 

以上。

 

 

追記:わかりにくいので追記。

子どものために死ぬときに対置されるのが自らの命であれば喜んで捨てよう。
けれども、対置されるのが、もう一人の子に対する責任であれば、その判断は非常に難しいものになるのではないだろうか。

その地点においては英断も勇断もありえず、ただ引き裂かれるだけなのではないだろうか。