D'ac

元銀行員。現在:写真撮影・加工。金融ライター・翻訳。子育てられ中。

自分をわかってほしい。自分はわかっている。という病。

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ネットを見ていると「私はこういう人なので」といった弁や「あなたはこういう人なんですね」といった弁が溢れている。

 

私も書くことがあるけれど、それはほぼ冗談。
「私本当は、そんなに太くないんで」とか。
だって、本当のその人なんてものは「本当は私・・・なので」という文章からは現れてこない。
そのほかの文章がそれを雄弁に語る。何を語るか。そして、場合によっては何を語らないか、などにもその人の人柄が現れる。
そしていきなり現れる「私本当は」。
「私本当は」の告白が示すのは単に「私のこと誤解しないでほしい。私のことをわかってほしい」そういう叫びだけ。「本当の私」を語ることで自己が把握する「私」なるものをほかの人が共有してくれるなど思わないほうがいい。

 

「私本当は」とか「私ってこんな人なんで」という文言はもうだいぶ古くから私の中では、冗談認定されている。ある程度付き合いがある人たちの間でなら通じる冗談。当然ながら、付き合いが薄い人にこのような発言をしても、冗談認定は難しい。
どうして「私本当は」とか「私ってこんな人なんで」という言葉が冗談になるのか。

 

それは、どう考えても、「本当の自分」なんてものは、外部に発露されているものだからである。

 

例えば、自分自身がどんなに「私は心優しい人」なんて信仰を持っていたとしても、外で老人に悪態をつき犬を蹴り飛ばしたりなんかした日には誰が「あいつは本当は心優しいやつだ」なんて思うだろうか。
「私極悪人なので」と言ったとしても、犯罪を犯すでもなく、日々労働に励み税金を払い生計を立てている人を極悪人と謗る人がいるだろうか。

 

そう。「本当の私」なんてものは改めて告白するものではなく、実のところ広く外部では共有されている。

 

ある人が「私、人の悪口とかいうタイプじゃないんだけれど、これだけは言いたい」と言い続けて既に何年も経過している。もう「人の悪口とかいうタイプじゃない私」の看板は撤回したほうがいい。別に悪口を言うなとは言わないけれども。

 

さてさて、「本当の私」告白をする人がいる一方、「私はあなたのことがわかっている」アピールをする人がいる。付き合いが長い人など。文章を書いていると結構早い段階で赤裸々になる部分もあるかもしれない。

 

夫は「私をわかっている」と思う。けれど、決して、私をわかっているとは言わない。
ただ、何か間違ったことをしたときは諭し、止めてくれる。アクセルを踏まなければいけないときは背中を押す。
「誰かをわかっている」と語ることは、その文言の中に、文章の中にその人自身を固着化させる恐れがある。夫が私のことを「結局口ばっかりで何も成し遂げないよね」なんて口に出して言ったりしたら、私は自分をそうとらえて、最初から努力を怠るかもしれない。
だって、一番身近な生活共同者がそう言っているんだもの。もう別にいいかな、って。

 

だけど、夫はそうは言わない。
だから、ダイエットするとか言いながら、お菓子を買おうとする私を時にはなだめ、結局失敗に終わっても何も言わない。
「ほら、おまえはどうせ失敗するんだから、口先で適当なこと言っているんじゃないよ」なんて言わない。
それを何度繰り返しても、適当に付き合ってくれる。

 

「私はあなたをわかっていますよ」とあえて口に出す人は関係の距離を早急に決定したがっているように思える。抱き寄せるか、付き放すか。並走しようとは思ってもいない。

 

さて、徒然書きすぎて何を言いたいのかわからなくなりつつあるけれど、このへんでまとめておきたい。

 

「私って本当は」っていう人は「私のことをわかって!!」以外は何も言ってないということ。
「あなたってこういう人なんですね」という人は、とりあえずその時点での結論を出し、その人との距離を自分の手中においてコントロールしようとしている、ということ。

 

ただ何となく書きたくなっただけで他意はありません。


以上。