D'ac

元銀行員。現在:写真撮影・加工。金融ライター・翻訳。子育てられ中。

健常者は潜在的には障がい者である。

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今朝、このような記事を読ませていただきました。

 


【乙武洋匡ちょっと出てこいや!!】妊娠初期に障害児が生まれるかどうか分かると便利です


難しい問題です。
難しすぎて私が何か言えるようなものでもないな、と思ったのですが、少しだけ書きたいことがあって、書いておきたいと思います。
批判でも肯定でもないのですが、続けさせていただきます。

 

私は妊娠中、胎児に少し問題があるのではないか、という指摘を受けました。
夫と話し合いました。
いや、妊娠をやめよう(という表現にします。すいません)という選択肢はなかったのですが。
というのは、まず、第一子であったこと、妊娠をやめることが怖かったこと、生まれてからわかること、成長してからわかることもある中で、現時点で判断できるものに依拠して判断を下すのは難しいのではないか、ということ。
そんなもろもろで判断しました。

 

私が妊娠したころ、頻繁に出生前診断の話が上がっていて、気にならないわけではなかったのですが、もしダウン症ではないにしても2,3歳までわからないといわれる自閉症になったら? とか、この間あった友人は小学校のときに遺伝性の病気を発症して障がい者になったわけですが、そういうこともあるわけで。
10代後半で統合失調になった親戚もいますし、20代で重たい膠原病に罹った友人もいます。
私は障がいはないけれども、なかなか自由が利かない体を抱えて、今となってはまともにフルタイムで働くことは望めない。

 

今日元気な人が明日には事故で歩けなくなるかもしれない。
そもそも誰だって歳をとる。
老人になって、身体的に不自由な思いをする日がくる。


私は健常者は潜在的に障がい者であると考えます。
いつそうなってもおかしくない。
だから、障がい者福祉とかは、障がい者のためにあって、障がい者のためだけではない。
障がい者が可哀想だから、そういう制度があるわけではない。
いつ何時、だれが障がいを持つことになっても、生きていける。幸せになれる。そういう保証を得るためのものだと思うのです。

 

私の娘は検査を受けたりしましたが、まだわからないことも多い年齢。
障がいがありませんように、と祈る気持ちがあるのと同時に「障がいがあっても問題なく生きていけるような社会になりますように」と願う気持ちのほうが強い。
だって、この不安は子育てをしている間、生きている間中つきまとう不安だから。

 

障がい者が十全な福祉を受けることができ、幸せそうな顔をしているのを見ると心底ホッとする。
不便なことがあれば手を差し伸べる。それも、これも、私たちは潜在的には障がい者だから。

何度も言いますが、育てるのは親であるし、障害児(障害者)として生きていくのはそれだけ困難なことだからです。

上で紹介した記事の一文です。
これを読んで、やっぱりまだまだなんだよな、と思いました。
「育てるのは親」ここの意識が障がい者かそうでないか関係なく変わること。
子どもは社会で育てるという意識が育てば、子育ての負担が大きく軽減されることは間違いないでしょう。

 

ということでまとまらなくなってきたので、締めます。


以上。