読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

D'ac

元銀行員。現在:写真撮影・加工。金融ライター・翻訳。子育てられ中。

人にモノを教える仕事をしている人は自分も新しいことに取り組むのがいいかもしれない。

雑記
スポンサーリンク

ちょっと前から、「AIをつくりたい!」とかなんとか言って、高校数学の初歩から取り組んでいます。
そしたら、色々わからないことだらけなんですよね。プログラミングもわからないし、数式とか頭痛がするし、そうしたら、やっているうちに、一体何がしたかったのかすらわからなくなってくる始末。

 

ブログに書いちゃったし、「数式頭痛い…」よりも好奇心のほうがまだまだ勝っているから、まだまだいけるとは思います。まだまだいけるというか、まだ入り口にも立ってないのだけれども。

さてさて、そんな感じで、全くの未知の領域に首を突っ込んでいると「全くわからない」というのがどういうことなのか、が見えてきます。「わからない」っていうのは本当に「わからない」んだなって。
ある一定の専門分野があり、そこを掘り下げていくだけになると、段々「わからない」というのがどういうことなのかわからなくなってきます。私だったら、金融のお話でしょうか。

時々「住宅ローンが全くわからない」とか「投資信託が全くわからない」って話を聞きます。そういうときに、ついつい相手に頼ってしまうことがあるんです。「このくらいは分かるでしょ」という怠慢。階段を一歩ずつ登らなければいけないのに、つい2、3段飛ばしにしてしまう。相手が見えてないことが見えていない状態。

自分が「全くわからない」ことに取り組みだすと、見えるんですね。「わからない」ってどういうことなのか。そんなとき、ふと自分のことを振り返るんです。私の言っていることは十分に「わからない」相手に届く言葉だろうか、と。

ということなので、人にモノを教えたりしている人、先生とかに限らず、営業マンとかもですが、たまには、自分にとって全く未知のものに取り組むのはいいのではないか、と思うわけです。

私はそのうちプログラミングも数学もできるようになります。(という予定)
そのときに、だれかにこの道筋を伝えることができるように、きちんと今の「わからない」という気持ちを覚えておきたいと思います。まあ、覚えていなくてもブログでこれだけわからないと喚いていたら簡単に振り返ることができるのですが。

ということで以上。

追記)とはいえ、子育てをしていると時には、階段を一段一段上るのではなくて、跳躍しなければいけないときもあるのだろうな、と感じることもあります。私も跳躍したい…。