子どもの有無が政治家の適性を決めるかどうか。
今日は参院選挙ですね。
お天気もよろしいことですし(こちらは)、みなさん、ぼちぼちと行かれてはいかがでしょうか。
さてさて、最近は世界的に政治の季節となってきました。
政治の季節というのは、世界経済が政治的な要因で決められることが多い、ということを意味します。政治的な要因が世界を動かしていくわけですね。
イギリスのEU離脱選挙、アメリカのトランプ大統領誕生の可能性、ポピュリズムの台頭。日本の安倍総理による消費増税延期もポピュリズムの一環ではないかとも言われています。
リーマンショック前の住宅不況の兆しは数字の上では現れており、それに気づいていた人もちらほらと見受けられるようですが、政治というのは何とも読みがたいもので、政治の風が吹くなかでは、経済の行き先も今まで以上に不透明感が漂うというものです。イギリスの離脱確率も事前調査は読み違えていましたよね。
さてさて、イギリスがEUを離脱すると決定して以降、イギリスでは次の首相を決定するための選挙準備が行われています。メイ内相とレッドソム氏が最終候補者とされました。
まあ、それでお決まりの失言、なんですか、戦略的なのかはわかりませんが、レッドソム氏が「子どもがいる私のほうが英首相に向いている」なんて言ったものだから、なんやかんや揉めているようです。
ということで前置きが長くなりましたが、みなさん、子どもの有無は政治家の適性を決めると思いますか?
時々、安倍総理を批判する方便として「安倍総理には子どもがいない」と言ってのける向きがあるかと思います。
これは完全に私の私見なのですが(ブログなのでそりゃそうですが)、私自身は子どもの有無が政治家の適正を決めるかどうかは大変疑わしいと感じています。子どもがいると、まず、私腹を肥やそうというインセンティブが働きます。子どもがいると人は不平等になります。自分の子どもが可愛いですからね。
そう考えると、むしろ子どもがいない人の方が政治家に向いているのではないか、という気すらしてくるわけです。安倍総理を動かすものが名誉欲だとすると、私腹を肥やすよりかは遥かにいい政治を行いそうな気がしなくもない。
レッドソム氏は、子どもがいない人は次世代について責任をとる必要がないから、英国首相になる資質がないと言ったそうですが、それに対して、批判する人たちが「私にも子どもはいないが、姪甥がいるから、次世代のことは考えている!」といった論調なのですが、なんかピント外れな気がします。姪甥すらいなければ、次世代のことは考えられないのか。
政治家になろうという動機がどこから生まれて人を導くものなのか、私のような凡人には分からないものなのですが、子どもの有無のみで資質を語るのであれば、むしろ子どもがいない人の方が信頼できそうな、そんな気がしなくもないのですが、みなさまはどうお考えになるでしょうか。
以上。
追記:夫は「子どもがいると、子どもに恥ずかしいことをしないようにしようというインセンティブが働かないか」と言いましたが、某都知事の件や不倫騒動な議員さんたちなどもあるので、それもどうでしょうね。